40歳のバツイチ、現在はスナック店員をして生活をしています。
子供は高校を卒業と共に就職、社員寮で暮らしているため、1人の生活です。
順調とまではいかないものの、それまではなんとか生活が出来ていた感じがします。
不景気ですから沢山収入はありません。
でも、ギリギリ生活を送ることが出来ていました。
しかし、その生活が変化することになりました。
2021年、新型コロナが日本にやってきました。
これは大きな変動と言えるものでした。
多くの感染者を出し、志望者も沢山出てしまった怖い病気です。
そのため、緊急事態宣言やら、蔓延防止措置やらが取られるようになったのです。
途端に収入が入ってこなかったり、極端に減ったり、最悪の状態でした。
ただ、最初の頃は年老いた父親や、仕事をしている子供から多少の収入を得られなんとか助けられました。
しかしまたも、オミクロン株でコロナが蔓延し始め、蔓延防止措置が取られるようになります。
収入が減り、今回は親や子供に頼ることも厳しい。
そこで思ったことが、貢ぐ男との出会いでした。
太っているし、凄く美人じゃないんだけれど人当たりが良いみたいです。
そのためお客さんからチップを受け取れることも多くある私。
だから貢ぐ男とネットで出会うことは可能かもしれないと考えました。
インターネット上で裕福な人と出会えることで、収入になると考えました。
貢ぐ男の人との出会いのため検索をしました。
検索で見つけたのが、お金欲しい掲示板でした。
世の中不景気であるし、またコロナ不景気まで加算されている状態です。
掲示板は、多くの人たちが利用していました。
投稿することで、貢ぐ男との出会いが訪れるのではと期待する気持ちを持ちました。
現状、大ピンチの話を正確に書き込み、募集することにしました。
掲示板に投稿することにより、メールは到着します。
結構な数のメールが到着します。
このために作った専用のフリーメールの受信ボックスに沢山のメールが入っていました。
かなり期待して開封していくのですが、無償支援とは程遠い内容のものばかりなのです。
アダルト要素の強いメールでした。
恥ずかしい姿を写メや動画にして欲しいとか、ライブ配信で見せて欲しいというものばかりでした。
もしかして、利用した掲示板が悪いのか?と考えました。
新たに発見することになった、お金支援掲示板に乗り換えてみようと思いました。
お金持ちが支援してくれるだろう掲示板なら、貢ぐ人との出会いも楽勝であると考えました。
新しい掲示板での募集になりました。
こちらなら、支援してくれる人と出会えるかもという期待を強めます。
真剣な気持ちで文章を作成し、投稿していきました。
無料の掲示板の特性もあるのでしょうが、メールはやはり到着してきます。
かなりの数になっていきます。
ですが、今回もやはりちょっと違うものでした。
こちらは消費者金融を紹介するようなものばかりだったのです。
本当にガッカリという気持ちを持つだけでした。
高校時代の友人からの連絡で、近況報告をしていたときのことでした。
貢ぐ男の話題になったのですが、その友人はサポートしてくれる人と出会えていたのです。
とっても大きな衝撃を感じてしまいました。
無料の掲示板での出会いは絶対に不可能であると言われます。
出会うためにも、優秀な安全性の高いパパ活アプリが必要であることを説明されました。
無料の場所は、完全に管理されていないため危険人物が多いようです。
ヤリモクや詐欺、アフィリエイトばかりで、本気での出会いを見つけることが出来ない場所だったのだそうです。
友人の使ったのは、Jメール、ワクワクメール、PCMAX。
どれも老舗出会い系であり、長年の運営実績のある場所であることを教えてくれました。
女は無料で利用できるメリットを活かし、複数同時利用で出会いの確率も高められると言われました。
そしてコロナ禍だからこそ、直接的な出会いではなく、オンラインでの関係で収入になることを教えられました。
貢ぐ男探しをアプリでスタートです。
その結果が、正直驚くものだったりしました。
デブのバツイチを気に入ってくれる男性たちとの出会いが訪れていくのです。
複数の男性たちとのネット上の関係だけで、大きな収入を得ることになりました。
友人の話していた通りでした。
貢いでくれる男は良いアプリにしかいないのです。
名前:真亜沙
性別:女性
年齢:40歳
片切真亜沙、40歳のデブのバツイチです。
私は19歳で結婚、現在は子供も独立しているため一人暮らしをしています。
職場のスナックなのですが、新型コロナの影響が強烈に出ました。
緊急事態宣言や蔓延防止のため、収入が途絶えたり減ったり。
このピンチを救ってくれたのが、子供と親でした。
第6波の新型コロナにより、またも大ピンチに陥ることになっています。
今回は親や子供に頼るわけにもいかず、なんとか収入を得なければという気持ちを強めるばかりでした。